2006年8月5日

先週戦火のベイルートを脱出してきた、レバノン人のEくんに会いました。彼はパリで働く医師で、休暇をベイルートの両親の元で過ごしていたところ、イスラエル軍の攻撃が始まり、空港が破壊されてしまったために、パリに戻れなくなってしまったのです。彼はブラジルのパスポートも持っているため、ブラジル大使館のバスのコンボイに乗ることができ、16時間の旅の後トルコに着き、アテネ経由でミュンヘンに住む姉のところにやってきたのです。フランスはかつてレバノンを保護領にしていたため、今も多くのレバノン人がフランスで働いています。故郷で夏の休暇を過ごしていた多くのレバノン人が、戦争のためにフランスに戻れなくなっています。ベイルートにいる時は、爆撃の音や不安で、不眠に悩まされたそうです。


詳しくは、後日記事の中でご紹介します。

昨日の夕食では、Eくん、その姉、そのドイツ人の夫とその娘の5人連れだったので、英語、ドイツ語、フランス語、アラビア語が入り交ざった会話になりました。Eくんがドイツ料理を食べたいと言うので、ビクトアリエン・マルクトの近くにある新しいビアホール、ハッカー・プショルに初めて行きましたが、給仕が親切で食事もビアホールとしては、及第点でした。

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日本人は忙しすぎるせいか、手紙や電子メールをもらっても、返事を出さない人がほとんどだと思います。特に、手紙を書く人はもうほとんどいなくなってしまったと思います。ところが、私が1月に東京の衆議院会館で行ったドイツの過去に関する講演を聞いて下さった国会議員のSさんが、今日暑中お見舞いをかねて、お礼の葉書を下さいました。私がすぐにご返事をお出ししたことは、言うまでもありません。

ドイツでは、手紙やメールをもらったら、返事を書くという習慣が、日本よりも残っているように思います。かくいう私もNHKの記者だったころは、あまりに長い労働時間と睡眠不足のために、ろくに手紙に返事を出す暇もありませんでした。ですから、マスコミの第一線の人々がほとんど返事をよこさないのも、よく理解できます。(もちろん私という存在が、返事を書くに値するほど重要でないということも理由の一つだと思いますが)

16年前にドイツに来て、自分の時間を持てるようになってから、初めてゆっくり返事を書けるようになりました。その意味で、過度に忙しすぎるのもどんなものでしょうか。私が日本企業で8年間しか勤めなかったのに、ドイツでの生活が16年目になったのも、そういう違いが影響していると思います。

ドイツは異常熱波が終わったと思ったら、秋のように涼しくなり、今日は週末の食料買い出しに行く時に、セーターが必要でした。